インサイダー取引規制に違反すると、刑事罰の対象になり、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金に科される、または懲役と罰金の両方が科されることになります。

自社の役職員がインサイダー取引規制に違反した場合、違反した人だけの問題ではなく、会社全体の法令遵守体制に疑義が発生してしまうことになります。

そこでインサイダー取引規制をシンプルに表現すると次のようになります。

インサイダー取引規制
  1. 上場会社の役職員などの「会社関係者」は、
  2. その会社の株価に重大な影響を与える「重要事実」を知った場合、
  3. その重要事実が「公表」される前に、
  4. 「株券等を不公正な方法で売買等」をしてはならない。

つまり、②にある「重要事実」を知らない状態であれば、①③④に問題があっても、インサイダー取引で有罪になることはありません。

(重要事実を知らない状態で不公正な方法で株券等を売買等した場合は、詐欺行為にあたると思料します)

上場を目指す会社の場合、上場承認が出た直後に役職員に対し、インサイダー取引規制に関するセミナーを実施しますが、その際の重要ポイントの一つが「重要事実」に関する理解になります。

ここでは、インサイダー取引規制に関する「重要事実」を書かせていただきます。

独自に問題形式の事例を作成しておりますので、ぜひご参考ください。

重要事実とは

重要事実とは、投資する人が、その会社の株を買うか、売るかに大きな影響を与える可能性がある重要な会社情報のことをといいます。

重要事実の内容は、金融商品取引法第166条第2項や有価証券の取引等の規制に関する内閣府令などで定められておりまして、重要事実一覧表になっているサイトがこちらになります。

この一覧表を簡単に説明すると、次のようになります。

重要事実の種類

重要事実は、表1のような構成がされています。

表1 重要事実の構成

分類 分類内容 重要事実例
決定事実 会社の意思決定により発生する重要情報
  • 株式募集
  • 合併
  • 配当の支払等
発生事実 会社の意思によらずに発生する重要情報
  • 主要株主の異動
  • 訴訟の提起や判決
  • 行政庁による処分等
決算情報 会社が公表済の業績予想値の大幅修正に関する情報
  • 売上高
  • 経常利益
  • 当期純利益等
バスケット条項 ①から③以外で、事業運営、業務又は財産に関する重要な事実
  • 大口受注契約締結
  • 重要な子会社の上場
  • 企業の不祥事等
子会社に係る

決定事実、発生事実、決算情報

企業集団全体の経営に大きな影響をもたらす重要な事実
  • 合併
  • 新製品・新技術の企業化
  • 解散等

なおバスケット条項については、こちらで説明しています。ご参考ください。

バスケット条項【IPO用語】

重要事実は、①~⑤にカテゴライズされていますが、あくまでも投資する人の目線で大きな影響を及ぼすような事実に集約されています。

重要事実に存在する主な内容
  • 株式や新株予約権等、資本政策に関する情報
  • 合併や株式分割、事業譲渡などM&Aや企業再編成に関する情報
  • 業務提携や主要取引先に関する大きな営業関連情報
  • 新技術や新製品等、大きな新事業展開に結び付くような情報
  • 業績や配当の大幅な修正
  • 上場廃止や訴訟、行政庁処分、手形不渡、倒産等、不祥事や企業存続に関する情報
  • 主要株主や親会社が異動した場合
  • 子会社が上場した場合や子会社が倒産等、連結財務諸表に影響を与えるような子会社情報

重要事実には、軽微基準がある

重要事実とは、文字通り、あくまでも重要な事実なため、重要ではない事実の情報は、重要事実に該当しません。

そこで軽微基準が存在します。

例えば、新規に株式発行をする際、払込金額が1億円以上の株式発行であれば、重要事実に該当しますが、1億円未満の株式発行であれば、重要事実に該当しません。

重要事実は、いつから?

決定事実とは、会社の意思決定により発生する重要情報を意味します。

このような重要情報は、いきなり天から降ってくるのではなく、提案や試案等から始まり、検討を重ねた後、決議に至ることばかりになります。

そこで、このプロセスにおいて、いつの時点から重要事実として認識しなければいけなくなるのかが論点として発生します。

金融商品取引法第166条第2項第1号には次のようになっています。

金融商品取引法第166条第2項第1号

当該上場会社等の業務執行を決定する機関が次に掲げる事項を行うことについての決定をしたこと又は当該機関が当該決定(公表がされたものに限る。)に係る事項を行わないことを決定したこと。

そして、この条文の後には、具体的な決定事実の項目が列挙されています。

つまり、上場会社等の業務執行を決定する機関が決定した瞬間が重要事実を発生した瞬間になります。

しかし「業務執行を決定する機関」は、金融商品取引法には具体的に明記されておりませんが、何の段階で事前準備や作業開始を決定したのか判断した時点が重要事実になる時点であるという解釈がされています(最高裁判決より)。

「業務執行を決定する機関」の概念は、企業文化や会社の運営システム等によって異なります。例えば、次のような例が考えられます。

業務執行を決定する機関が決定した時点例
  • 取締役会で決議された時点
  • 経営会議や常務会決議で決議された時点
  • 稟議決裁において、決裁者が稟議決裁書に押印した時点
  • 代表取締役が意思を固めた時点など

例えば、オーナー社長の会社であれば、社長が意思を固めた時点が業務執行を決定する機関が決定した時点になると思われます。

規則

上場会社の役職員の対応

上場会社の役職員の多くは、重要事実という言葉さえ知らないと思われます。

軽微基準の言葉や数字を知っている人は、尚更、少数派です。

上場を目指す会社の役職員は、尚更だと思います。

しかし一方、インサイダー取引が犯罪行為であること、またインサイダー情報は他人に漏らすべきではない情報であることは広く認知されているはずです。

そこで上場会社は、重要事実に関して、どのように対応しているのかを次に紹介させていただきます。

重要事実を拡大解釈する

パワハラやセクハラをはじめとするハラスメントなど、ほとんどのコンプライアンスに関しては、どこまでが良くて、どこからが違反になるのかというボーダーラインがわかりにくいというのが現実です。

例えば、部長が酒の席で配下の女子社員にキスを迫ろうとすれば、即時セクハラが確定しますが、福山雅治や小栗旬が酒の席で配下の女子社員にキスを迫ってもセクハラが確定しないのが日本の現実です。つまり、同じ行動をしても、人によってコンプライアンスのボーダーラインが変わります。

また近年、セクハラは男性が女性に対して行うハラスメントという時代から、「男のくせに」というような発言も逆セクハラになるという時代へ移り、さらに昨今、ジェンダー平等という言葉から、男女を比較や競争するだけで問題視になりつつある時代に移行しており、紅白歌合戦の存続さえも話が出てきています。

そこで、ほとんどの会社は、コンプライアンスを遵守するために、ボーダーラインを保守的に拡大解釈をした形でコンプライアンス違反防止を図っています。

社内のインサイダー取引を防止する、またインサイダー情報の漏えいにおいても、同じ考えで対応している会社がほとんどだと思います。

特にバスケット条項に該当するような会社情報については、証券会社の売買管理部門で働いているプロ級でも、判断が分かれるようなグレーゾーンが多くあります。

例えば、決算情報に関しては、会社が公表済の業績予想値から乖離する場合に限り、重要事実に該当することになりますが、ほとんどの会社では乖離の有無に関係なく、決算情報を公表する直前に自社株式の売買を認めていません。

重要事実のボーダーラインを保守的に拡大解釈をして、重要事実の漏えい防止やインサイダー取引違反の対策を行っている会社が多々あります。

重要事実の情報受領者

重要事実は、一部の役員、人事部門、財務経理部門や経営企画室部門等、特定の部門の人だけが知る情報ではありません。

誰もが重要事実の「情報受領者」として、インサイダー取引規制の対象者になる可能性があります。

重要事実の「情報受領者」として、インサイダー取引規制の対象者になってしまう例は、次のような例です。

  • 新聞記者が重要事実を取材先から聞き、帰社後にデスクへ報告した場合:新聞記者とデスクが規制対象に加わる可能性
  • 社長が銀座のクラブで、ホステスに重要事実を話し、当該ホステスが友人にその重要事実を話した場合:当該ホステスとその友人が規制対象に加わる可能性
  • 宅配業者が荷物を配送先の会議室の前を通り過ぎた時、社長が重要事実を怒鳴り声で叫んでおり、その怒鳴り声を聞いてしまった場合:当該宅配業者が規制対象に加わる可能性
  • OLがオフィスで働いているとき、コピー機に重要事実が書かれた機密文書が挟まっており、偶然見てしまった場合:当該OLが規制対象に加わる可能性

重要事実を知ってしまい、インサイダー取引規制の対象者になってしまう可能性は、誰にでもあることに注意が必要になります。

情報遮断を徹底する

特に役員や経営企画部門、財務経理部門、人事部門、情報システム部門が重要事実にアクセスしやすいようになっています。

これらの部門が保有する情報は、他部署に漏洩しないように対策することが重要になります。

社内で情報漏洩を防止するために次のような施策が考えられます。

  • 文書管理サーバーやフォルダー等へアクセスするためのアクセス権の管理を徹底する
  • 重要事実を把握しやすい部署と、その他の部署を別室にする
  • 重要事実に関する内容を取り上げやすい会議(取締役会、経営会議など)は、別室で開催するなど

ブログの中の人は、前職で取引先の重要事実を知りやすい立場にありました。

金融業界では、部門間の情報共有を遮断する施策を行っています。↓になります。

チャイニーズウォール規制

例えば、証券会社の最大手の野村證券では、社内の情報遮断が甘かった事を原因とする不正取引が発生し、行政処分がありました。

こちらになります。

重要事実を伝える違法性を理解する

重要事実を人に話すべきではありませんが、会社の職務上、取引先等に重要事実を伝達する必要がある状況になるケースは存在します。

したがいまして、会社の職務における通常の場面で重要事実を外部者に伝達することは、違法ではありません。

業務上、やむを得なく、外部者に重要事実を伝える必要性が出た場合、「これは、インサイダー取引規制の対象となる重要事実です」と一言告げてから、その内容を伝えることにしている会社が多くあります。

なお、株券等の売買等をさせることにより、他人に利益を得させることや、損失回避を目的として、重要事実を伝達することは禁止されています(金融商品取引法第167条の2)。

確認

重要事実に関する事例

ブログの中の人は、重要事実に関する問題を独自に作ってみました。

ブログをお読みの皆さまにご活用頂ければ、幸甚です。

ちなみにAさんは、上場会社であるバルブメーカーに勤務している方であるという前提になっています。

重要事実に関する事例1

製造部Aさんは、友達に居酒屋で↓のような自慢話をしました。

Aさん

今度、会社からストックオプションを貰えることが決まったんや!羨ましいやろ!

Aさんは、重要事実を友達に言ってしまったのでしょうか?(※ ストックオプションの発行に関しては、公表されていないこととします)

重要事実に関する事例2

経営企画室のBさんは、友達にランチで↓のような会社の内情を笑いながら言いました。

Aさん

社長が社内の若い子にセクハラしたことが発覚したんや。さっき、取締役会で議論されて、クビが決定したんや!アホやなぁ

Bさんは、重要事実を友達に言ってしまったのでしょうか?(※ 社長の人事に関して、公表されていないこととします)

重要事実に関する事例3

資材部のCさんは、取引先の営業マンに職場で次のような会社の内情を言いました。

Aさん

コロナの影響でバルブの生産が来月から全面ストップすることになったわ。大変や!

Cさんは、重要事実を取引先の営業マンに言ってしまったのでしょうか?(※ バルブの生産ストップに関する情報は、公表されていないこととします)

重要事実に関する事例4

営業部のDさんは、営業の担当先で次のような会社の内情を言いました。

Aさん

今まで、長い間、お世話になりました。この度、当社は、新事業として飲食業を始めることになりまして、私は、その飲食業の統括部署に配属することになりました。

Dさんは、重要事実を営業先に言ってしまったのでしょうか?(※ 新事業に関する情報は、公表されていないこととします)

重要事実に関する事例5

営業部のEさんは、帰宅して、奥さんに次のような会社の内情を言いました。

Aさん

今日、顧客のアップルからクレームがあって、取引停止になったんや!俺もうあかんわ!

Eさんは、重要事実を奥さんに言ってしまったのでしょうか?(※ アップルとの契約に関する情報は、公表されていないこととします)

重要事実に関する事例6

社長のFさんは、ゴルフの最中、友人に次のような会社の内情を言いました。

Aさん

今期は売上が好調で、利益が計画を20%上回りそうなんや!冬のボーナスを上げなあかんわぁ!

Fさんは、重要事実を友達に言ってしまったのでしょうか?(※ 決算に関する情報は、公表されていないこととします。)

重要事実に関する事例7

専務のGさんは、奥様に次のような会社の内情を言いました。

Aさん

会社が自己株式を取得することになったんや。俺が持っている株を会社に売って、ハワイ旅行しよう!

Gさんは、重要事実を奥様に言ってしまったのでしょうか?(※ 自己株式取得に関する情報は、公表されていないこととします。)

事例の答え

結論から申しますと、全ての事例を通じて重要事実に引っかかっているかどうか関係なく「公表されてから、言え!」が答えになります。

重要事実で無ければ外部に言って良いのではなく、公表されていない社内の情報を社外に話す行為自体がダメという事が最大の答えになります。

事例1~5、7は、表1の「① 決定事実」「② 発生事実」「④ バスケット条項」に抵触してしまうかどうかの議論が生じます。

また事例6は、実は「③ 決算情報」に抵触しないため、重要事実を話したことになりませんが、公表されていない決算情報をベラベラ話すのは、間違っています。

※ あくまでもブログの中の人の主観であることにご留意いただきますようお願いします(ブログの中の人は、証券会社出身者であることもあり、非常に保守的な考えを持っています)。

事例1の考察

Aさんの発言:「今度、会社からストックオプションを貰えることが決まったんや!羨ましいやろ!」

ストックオプションを発行する規模が大規模(払込金額の総額1億円以上)であれば、重要事実になります。

Aさんは、友人にストックオプションの発行規模を具体的に話しておりませんが、もしAさんが勤務している会社が1億円以上のストックオプションを発行する事も話していた場合、表1の「① 決定事実」を言ってしまったと見做されてしまう可能性が極めて高くなります(ストックオプションの発行規模を伝えていなかったため、重要事実を話していることにはならないという解釈が出来るかどうなのかは、ブログの中の人では判断出来ません)。

Aさんが重要事実を話したことになるかどうか、または、Aさんが発言をした内容が重要事実を想起するような事を発していないのかも含めた、総合的な判断になりそうです。

尾ひれをつけて、具体的に詳しく話してしまうと、重要事実を話してしまったと見做される公算が高くなると思料します。

事例2の考察

Bさんの発言:「社長が社内の若い子にセクハラしたことが発覚したんや。さっき、取締役会で議論されて、クビが決定したんや!アホやなぁ」

社長が持株比率が少ないようなサラリーマン社長であれば、重要事実を話したことになるかどうか微妙だと思いますが、もしその社長が大株主となっているような会社の場合は、表1の「④ バスケット条項」に該当してしまう可能性が高いと思料します。

つまり、同じ言葉でも、重要事実は、会社の状況や時代によって変化することがあることを理解しましょう。

事例3の考察

Cさんの発言:「コロナの影響でバルブの生産が来月から全面ストップすることになったわ。大変や!」

もし、この会社がバルブの製造販売に特化した専業メーカーであれば、表1の「④ バスケット条項」に該当してしまう可能性が高いと思われます。

一方、バルブの製造販売が主たる事業になっていない会社の場合は、重要事実に該当しないと思われます。

つまり、事例2と同様、同じ言葉でも、重要事実は、会社の状況によって変化する可能性が高いことを理解しましょう。

事例4の考察

Dさんの発言:「今まで、長い間、お世話になりました。この度、当社は、新事業として飲食業を始めることになりまして、私は、その飲食業の統括部署に配属することになりました。」

新事業の規模が、もし事業開始から3事業年度以内に売上高の10%以上になるような規模(その他にも要件はあります)の場合、表1の「① 決定事実」に該当してしまうかどうかが議論になります。

Dさんがもしその新事業の規模まで具体的に話していた場合、表1の「① 決定事実」に該当してしまう可能性が出てきます。

会社が新事業を開始する時を含め、重要事実に繋がる情報は、可能な限り、会社がいち早く公表することが重要になります。

事例5の考察

Eさんの発言:「今日、顧客のアップルからクレームがあって、アップルから取引停止になったんや!俺もうあかんわ!」

アップルとの取引水準の規模が大きな場合、具体的には取引停止による売上高減少額が最近事業年度の10%以上になれば、表2の「② 発生事実」に該当してしまう可能性が出てきます。

大口取引先に関する情報は、有価証券報告書に記載する企業例が多い事もあり、Eさんがアップルの取引額を具体的に伝えなくとも、

営業に関する情報、特に大口取引先に関する情報は、事例5のような悪い情報だけではなく、良い情報(例えば、新規の大口顧客の獲得)を含め、取扱に注意が必要になります。

事例6の考察

Fさんの発言:「今期は売上が好調で、利益が計画を20%ほど上回りそうなんや!ボーナスを上げなあかんわぁ!」

表1の「③ 決算情報」に該当するかどうかの議論になります。決算における利益については、業績が公表された計画を30%以上変動すれば、表1の「③ 決算情報」に該当してしまいます。

つまり、Fさんの発言は、利益が計画より20%上回ると言っているため、表1の「③ 決算情報」に該当しないことになります。

事例7の考察

Gさんの発言:「会社が自己株式を取得することになったんや。持っている株を売って、ハワイ旅行しよう!」

表1の「① 決定事実」に該当するかどうかの議論になります。自己株式取得については、軽微基準が存在しないため、Gさんは、重要事実を奥様に話してしまったと解釈できます。

重要事実の内容には、軽微基準が存在する項目と、存在しない項目があることを理解しましょう。